「天の父の愛を溶かす」~御旨と世界~より

天の父に聞いてみましょう。「あなたは、春を味わったことがありますか」と。
天の父は答えるでしょう。「私は四季をつくりました。それは何も目新しいことではありません」
「あなたは、かつて、愛を味わったことがありますか。愛されたことがありますか。人間の愛を経験したことがありますか」。
天の父は、「かつて経験したことがない」と答えるでしょう。
天の父は、四季や自然を含め、天宙を創造されたにもかかわらず、かわいそうに、春の時に愛を経験したことがありません。「そのとおりだ」と父は言うでしょう。私たちの天の父は、哀れな神でしょうか、幸福な神でしょうか?(不幸な神です)

 もし、あなたが天の父に、「もし、あなたが、かわいそうで不幸な神ならば、幸福な神となるために、一緒に働こうではありませんか」と申し出たら、「私と共に働いてくれるものがいるとは、何と素晴らしいことだろう」と答えるでしょう。
しかし、神にも事情があります。ですから、たとえ誰かが来て、「行きましょう。私はあなたを幸福な神にしたいと思います」といったとしても、神を行かせる事はできません。なぜなら理由があるからです。
行きたくても行けない秘密があるのです。その問題が解決されるまでは、たとえ、いろいろな人が来て、共に行こうと提案したとしても、「私は行けない」と神は答えるでしょう。なぜなら、天の父は、春を味わったことがないからです。神は、春にすべてを創造されましたが、人間の堕落以来、ずっと冬の時を過ごしてきました。すべてが冷たく動かず、真っ白で単調で退屈な冬をです。

 ではどうしたら、天の父の心を溶かす事ができるでしょうか?ちょうど冷蔵庫の氷のように、天の父は凍りついているのです。どうしたら氷を溶かし、天の父を解放することができるでしょうか?それは力強い熱、高い温度によってのみ、氷を溶かすことができます。誰が、天の父の凍りついた愛を溶かすことができますか?それは、機能ではなく、愛そのものが凍りついているのです。人間の堕落によって全被造世界が、それと同じ状態になってしまったことが問題です。
 どのようにして、天の父の心を溶かしていきますか?(愛でです)

 それは、どのような愛でしょうか?男女の愛ですか、それとも家族の愛ですか?それは不変の唯一の愛によってです。なぜなら、天の父の中に、その要素があるからです。絶対不変で唯一の愛が、天の父の凍りついた心を溶かす事ができるのです。それでは誰が、その愛を提供しますか?人間の堕落のゆえに、神自身ではできません。神は自らで幸福になることはできないのです。

 宗教は、神を喜ばせるその一端を担ってきました。その責任の一端を担ってきました。もし、愛によって統一されていたら、戦争はなかったでしょう。争いもなかったことでしょう。もし宗教がその使命を果たしていたならば、互いに争うことを認めるはずがありません。それ以外に天の父の凍りついた心を溶かす道はありません。
 縦的な愛が、天の父の愛を溶かすために必要なのです。宇宙的な、地球的な、縦的で力強い愛が加わらなければなりません。
 また、四種類の人類の愛が必要なのです。ですから、私たちは一緒になって、天の父の心を溶かすためにぶつかっていかなければなりません。三世代の愛の力がここに含まれなければなりません。集中された愛が必要です。全民族が、この一つの目的に集まらなければなりません。それは今から始まります。六千年の氷が、今、溶け始めるのです。天の父の心を溶かすためには、どのような要素が必要でしょうか。

 多くの過去の運動は、その方向へと導き教えてきました。しかし、そこには希望がありませんでした。私たちには希望があります。希望をもちなさい。それは、私たちにとっては実現可能なことです。
そのような人が、天の父を解放するのです。私たちが、たとえそのような人でなくても、天の父の愛について聞くだけでも、私たちは溶け、その愛に酔ってしまいます。天の父の愛の力によって刺激を受けます。そのような人が、ゴールに到着できます。あなた方は、そのような人になりたいですか。