「神を慰労する道」より

「天宙復帰という、人類数千年の課題について語っている。
誰かがそういうことを言うと、人は狂人だと思うかもしれない。しかし先生は何十年も前から、そのことについて語ってきた。
この思想を持って世界を揺さぶろうというんだから、まさに狂気と見えるのも当然かもしれない。
 しかしながらこの道は、何の喜びも笑いももたらしてくれるわけではなく、むしろ悲哀と涙と苦労の道である。
先生のことを、あまり繊細でないか、むしろ鈍感であるかのように思っている人がいるかもしれないが、そうではない。先生はおそらく誰よりも繊細な人間である。
打たれたり、何か悲しいことにあえば、そのままでは先生も泣いてしまうだろう。
しかしそういう時、先生はいつもまず神様のことを考える。
そして、『私が神様を解放しなければ、誰が解放するだろうか』と思うと、『神よ、大丈夫です。私はこんなに元気ですから心配しないで下さい』と神様を慰めずにはいられなくなってくる。
それでも先生は、神様が先生のために涙してこられたことを知っている。だから、神は統一教会のことを忘れることができない。」(1978.3.1)


「先生は何度も拷問され殺されかけた。そのため、何ガロンもの血を次から次へと吐いた。
先生は文字通り死んだ。しかし、その瞬間でさえも原理は残った。先生は原理を実践した。
文字通りの死の瞬間、血をたくさん吐き、床に倒れ、死んだその瞬間ですら、先生は慌てなかった。
神に、『神よ、これは大変なことになりました。どうか下りて来て私を拾い上げ、助けて下さい』と狼狽して祈ったことなど一度もない。先生は生涯を通じて、そんな祈りはただの一度も習ったことがない。
そういう瞬間にも、『神よ、あなたあなたの御言は成就されるでしょう。私は勇気ある息子ととして生き、そして死にます。どんな苦しみも私を止めることはできません。私は進んで行きます。お父様、ただ見ていて下さい』と祈った」
(1977.6.  )


「もし、今まで言われてきた噂をみんなが全部知ったら、教会を去る人がたくさん出て来るだろう。しかし、先生は止めない。そういう人は行けばいい。
神が人を探してきた路程を思うと、今の何十万倍もむずかしかった、そのことを思う時、祈ることすら辛いことがある。」
(1975.10.14)