「後天時代と真の愛の絶対価値」より

統一教会は解放と釈放時代を語る」
 問題が大きいのです。和合と統一の元初点は何ですか。神様でもありません。サタンですか。悪魔ですか。もっと違います。それでは、誰が一つにするのですか。問題が大きいというのです。宗教も、今ではすべて倒れました。神様は、宗教を嫌います。「国」を好まれません。皆さん、大韓民国が好きですか。主人がいません。国も主人がいませんが、家庭に入ってみれば、おじいさんも家庭の主人ではなく、お父さんも主人ではなく、私たち夫婦、若い孫、三代になる私たちも主人ではなく、自分の息子、娘、四代になる息子、娘も、主人になれる可能性はありません。その中で暮らしているのです。
 ですから、最高の解決点は何でしょうか。根本に入っていかなければなりません。そのような意味で哲学は、失敗しました。神様を探そうとして探し出すことができなかったのです。宗教も、神様から始まりましたが、堕落した世界で世俗化し、深い地獄の底に入っていくようになっているというのです。
「神様は素晴らしい」と言っていた宗教者が世俗化してサタン側に入っていけば、歓迎されるでしょうか。け飛ばされるでしょうか、け飛ばされないでしょうか。私でもけ飛ばしてしまおうとするのです。
 一番ひどい者たちは、宗教者です。ユダヤ教イスラム教と闘っているではないですか。また、キリスト教イスラム教が闘っているでしょう?宗教戦争です。これをほうっておけば、果たしてどのようになるでしょうか。すべて絶滅です。
 さあ、今から死んでも生きても、問題は和合統一の元初点は何かということです。神様ですか、悪魔ですか、人ですか。神様も信じてみて、サタンにも闘って勝ったというあらゆる神霊の役事があり、あらゆる宗教指導者が出てきましたが、すべて失敗しました。
 イエス様がこの地上に来てキリスト教をつくったのならば、長老派があり、監理教があり、聖潔教があり得ますか。数百の教派があるのです。今では独立教会といって、「あなたも私もみな同じであり、あなたも教会の主人になるので、私も教会の主人だ」と言っているのです。そのような人たちが集まれば、「統一教会の文総裁が救世主ならば、私も救世主以上になる。メシヤ以上になる。再臨主以上になる。真の父母以上になる」と言うでしょう。
 救世主になる事ができる内容、メシヤになることができる内容、再臨主になることができる内容、その次に真の父母になることができる内容を統一したのちに、「神様が必要なくても、私自身が永遠に、永遠に、神様を身代わりする息子、娘の権威で生きよう」という解放された主人にならなければなりません。
 それで、私たち統一教会では、解放時代を語るのです。解放時代が問題ではありません。神様の息子にならなければならないのに、悪魔の前に連れていかれて、反対されたということ自体が恥ずかしいのです。根本的に解放と、釈放時代です。