聖日礼拝に想う

今日のライブ配信の礼拝の中で、

文鮮明先生は見ただけで人の過去の行いを知ることができるという証がありました。

また、氏族メシヤ活動に勝利した方々の集会には「絶対善霊」が集まっていて、自分の意思に関係なく

涙が溢れて止まらなかったという証もありました。

神様の摂理は確かにあるけれど、キリスト教が続いたのはイエス様が奇跡を見せる事で人の信仰が保てたのかもと思いました。

協会幹部や兄弟姉妹はまだ未完成で、中にはお金目的の幹部が居たり、キツい性格の人や、煩悩が抜けない状態だったりするかもしれないけど、

神の霊的血統と、個人の性格や団体の怪しさは関係ないのかなと思いました。

 

もちろん、神様につながる道は一つではなくて、

様々な経路があるのだと思います。

 

昔、教会員が経営している会社の商品を売り歩くという、「万物復帰」がありました。

また、文鮮明先生が何十年も前に「株をやりなさい」と話されたと聞いています。

しかし、教会員は投資どころか借金を抱えていました。

万物復帰の一環で、少額でも皆が投資を学んだら良いのにと思っていました。

 

来年蒔く為の米を残す余裕がなく、その場で食べ、「来年用の種を分けてください」と他者から譲り受けた種もまた、急な会食に必要だからと食べてしまう。

それでも、その時にご飯が必要だったのでしょう。今生きる事が出来なければ「来年」も来なかったのでしょうか。