星をかった日
とても綺麗な曲だと思います。弦の音色も良い。
原作の絵本や短編映画は観ていませんが、
原作者の手を離れた物語は、
物語を一言で例えるプロデューサーの言葉で大きく揺さぶられる。
でも、
曲を聴いているうち、どんなに変性を遂げても、原作の世界は在り続けるのだと気付く。原作を読んでいないのに何に気付いたのだか。自分が作った幻想を見ているだけなのに。
時の隙間〜穏やかな時間〜
DJ Okawari - Flower Dance - 2010
この曲は、昨年大阪行きの新幹線の車窓を見ながら最初に聴いた曲なので、
この曲を聴くと車窓からの流れ行く田園風景と青空と太陽が脳裏に浮かびます。
時の隙間〜穏やかな時間〜
聖日礼拝に想う
今日のライブ配信の礼拝の中で、
文鮮明先生は見ただけで人の過去の行いを知ることができるという証がありました。
また、氏族メシヤ活動に勝利した方々の集会には「絶対善霊」が集まっていて、自分の意思に関係なく
涙が溢れて止まらなかったという証もありました。
神様の摂理は確かにあるけれど、キリスト教が続いたのはイエス様が奇跡を見せる事で人の信仰が保てたのかもと思いました。
協会幹部や兄弟姉妹はまだ未完成で、中にはお金目的の幹部が居たり、キツい性格の人や、煩悩が抜けない状態だったりするかもしれないけど、
神の霊的血統と、個人の性格や団体の怪しさは関係ないのかなと思いました。
もちろん、神様につながる道は一つではなくて、
様々な経路があるのだと思います。
昔、教会員が経営している会社の商品を売り歩くという、「万物復帰」がありました。
また、文鮮明先生が何十年も前に「株をやりなさい」と話されたと聞いています。
しかし、教会員は投資どころか借金を抱えていました。
万物復帰の一環で、少額でも皆が投資を学んだら良いのにと思っていました。
来年蒔く為の米を残す余裕がなく、その場で食べ、「来年用の種を分けてください」と他者から譲り受けた種もまた、急な会食に必要だからと食べてしまう。
それでも、その時にご飯が必要だったのでしょう。今生きる事が出来なければ「来年」も来なかったのでしょうか。